投稿日:2009-11-04 Wed
上海の宿泊所で観ていたTVは何と37チャンネルもありました。その上、NHKのBS1.2さえ、映像が悪いながらも観ることができます。(つまり日本の情報は筒抜けというわけ、これは日本でも同じことですけれど)
このTV放送、夕食後の楽しみでは十分すぎるぐらいで、毎日偉大なる毛主席を讃える歴史番組、建国60周年記念番組、来年の上海万国博覧会関連番組、様々なショーなど、それは盛り沢山。
簡単にまとめると北京からくる放送は「毛主席の偉大さを讃える番組、建国60周年の意義、国防のために日夜励む解放軍の姿など」いわば正当というかまじめというかそういう感じの番組が多かったです。対して上海から流れる番組は「歌謡ショー、ファッションショー、バラエティー、万国博関連」など楽しそうな美しそうなワクワクしそうなそんな番組が多かったように思います。
ちょうど中秋節でもあって、それはそれはというぐらいの着飾った美男美女が歌ったり踊ったりの連続のショーがライブ放送され、どこの国に来ているのかしらと疑うような感じでした。
昼間見てきた普通の人や生活苦の中で生きる人々との差が大きすぎるという感想でしたね。
でもこんな番組をみて多くの人たちは昼間の苦労や疲れを吹き飛ばしていたのかもしれませんけど。

豫園(ユーユエン)は明代の私庭園でその美しさとびっくりするほどの広さは現在の上海観光の目玉となっているそうです。
「せっかく上海に行くんだから見てきたらどう」と男1から勧められ、それじゃ〜と出かけてみました。
その日もカメラ持参でけっこうな量の写真を撮ってきたのですが、何と帰ってきて宿泊所で確認したら赤ランプがバチバチと光り異常事態を知らせていました。
結果からいうと、メディアのクラッシュで写したものは全部だめになっていました。
しょうがないので2日目の間違って豫園の近くまで歩いていってしまった時の写真があったので少しばかり。
これは東方明珠塔展望台から写した、豫園全景です。

豫園近くの通りは人で大賑わい。
豫園の中は大混雑。 ラッシュアワーの電車の中を想像していただければと、それに近い状態なんです。有名な饅頭やさんも長い行列、有名な九曲がり橋も長い行列、豫園の中心の庭園の切符売り場にはいつたどり着くかわかりません。ほんの100〜200メートルぐらいのところなんですが。
それで、前日のタワー騒動で懲りた私は豫園通りから離れたところをゆっくり歩いてみました。
ここにも生活が厳しいと思われる方々の住む街がありました。
建物や生活ぶりを見ますと(表面的なものだけですが)、ほんとうに建国60年を過ぎた国なんでしょうかと考えざるをえないものがありました。60年変わっていないのではないかと考えてしまうような現実でした。 それでも必死に生きているこのような上海人はほんとうに強い人たちです。
華やかさと慎ましさの混在をここでも実感。

豫園の近くにはこんなりっぱな飯店もあり、休日の賑わいがここでも見られました。

豫園の脇には商場(小店が建ち並んでいる)や飲食店などがいろいろあります。
写真は上海老街、たくさんの人たちが店や露天をのぞいたり買い物をしたりしてます。

観光客相手の店でしょうか。飾り物や毛主席のグッズなどが陳列されています。
このとおりではブランドものの時計を売るおじさんや姉さんなどがいて私もここでも3回声をかけられました。そこは「不要:ブーヤオ」とていねいに、そしてきっぱりお断りしましたが。

疲れた売り子のお姉さんが、台に顔をふせて昼寝をしています。あまり売れないのでありましょう。
どこの通りに行ってもこんな売り子さんの姿が見られました。 生きることは稼ぐことなのです。

この道路工事の現場近くにも果物を20個ぐらい並べて、道路に座って売っている女性の姿がありました。あまりにも悲しそうな顔をしていたので撮影なし。

賑わう通りを歩いているのは観光中国人の人たちが多かったようで、若い人も中・高年の人も小奇麗な格好をしているのが印象的でした。

そんな通りの中をこんな改造車がゆっくりと走ります。
バイクの前の荷台は板で作られ、女の子とかなり小さい子2名、そして運転するお父さんの後ろにも小さい子が一人。これはさすがにこわいでしょう。
見ていた通りがかりの人も「だいじょうぶかよ〜」というようなことを言っていたくらいです。

上海では、というよりも中国ではこのような電気モーターバイクが街を走っているのが見られます。ほとんどがモーターバイク。 音が静かですから走っていても気がつかない、ですから後ろからピーピーパーパー鳴らすしかないのです。その音のほうがうるさい様な気もするのですが、それも親切心からくるピーピーなのです。それがわかってから、私は腹も立たなくなり、むしろありがとうございます、ご親切に。 となってしまった善人でありました。
豫園周辺のことはこれぐらいで。写真がだめになってしまったこともあるのですけれど、私の関心はそこにはありませんでしたので。

いきなり夜の南京路(ナンジンルー)へ。
これを写したのは帰国前夜、みやげを何も買ってないし、まんじゅうでも買ってみやげにしようと決定し夕方この通りに出かけたというわけです。中国の人たちの連休ももう終わりに近いのにえらい賑わっていました。ライトアップされた姿がなんとも上海らしい。単純にビューチホー!

これ昨夜の中秋節の時に食べる餅の残りを安くゲットしましょうという人たちの行列です。
そういえば朝のTV番組でこの餅を安く買う方法と美味しく食べる方法を紹介していましたっけ。
近くで黒社会と思われる人に脅され、逃げていく売り子女性の姿がありました。縄張りみたいなものがあるのでしょう。それとも上納金を納めないで商売しようとしていたのかなどと考えていました。
1930年代の上海はこのような社会に生きる人たちが多かったと読んで知ってはいましたが、今も直かという気持ちになりましたね。

上海の夜の賑わいは本当に深夜まで続きます。
私は家族向けのお菓子類を買ってみやげとしました。
帰りの税関で見せてくれと言われ、ちょっとはずかしい思いをしました。
パンダやアニメの顔や形をしたお菓子やおこしなど、そんなものしか入っていないのですから。

上海での毎日はいつもと同じように、2時か3時には起きていました。
一番前の報告でも書いていますが、日々の見てきたことに疑問や心苦しいものを感じる場面にいくつも出会ったからです。最後まで残った「あなたの国はほんとうに社会主義の国なんですか?」は今でも同じです。
つい先日、重松清さんの「加油・・! ジアヨウ」を読みました。
北京オリンピック開会前中後に訪問した北京記録です。 ああ、これを先に読んでいれば私の上海ショックはあまりなかっただろうと思います。なるほどそうなのか〜と納得できるものとなったことでしょう。人も考え方も所作も北京の人たちも上海の人たちも同じなんだな〜と今では思えるようになったからです。
いずれにしろ1週間ほどの上海行で私の見てきたものは、上海の一部です。
苦しさの中でも生きる強さを持った上海人の姿にも惹かれました。
何より、ほんの70年ほど前までにしてきた日本軍人の行動に日本人ゆえのバッシングのようなものがあるかもしれないと考えていたのですが、それもまったくありませんでした。
むしろつたない中国語を操る日本人を救ってあげようという気持ちに何回も出会いうれしい思いもしました。 その人たちの顔を思い浮かべながら感謝したいと思います。

建設途上の上海万国博事業の大成功を祈りつつ、この激烈上海報告を終了とします。
「加油!上海 ジアヨウ!上海」 再見。

投稿日:2009-10-30 Fri
休日の観光地は大にぎわい。それは日本でも同じこと、なのにせっかくだからと上海の観光地へと出かけてしまった。
結果はお祭り、神輿かつぎ、祭りの後の状態でした。 やっぱりね〜。

前日の七宝(チーパオ)に出かけた後についでにと訪れた東方明珠塔(ドンファンミンジューター)。
ここはテレビ電波塔で高さがすごいこと、形がユニークなことなどで外国人観光客の観光目玉になっています。簡単に言えば東京タワーの展望台をドーナッツに変えたようなものと想像すると良いでしょう。写真の真ん中に見えるのがその塔です。
100元(1400円ぐらい)のチケットを買いながら上海にしては高い入場料(エレベーター代・歴史資料館入場代)だな〜などと考えながら、きつい目をしたガードマンの荷物チェックを受けた後に入場しました。
入ったすぐ目の前の歓迎広場には、あまり人もいず、ああやっぱり普通の人たちが入場するのは料金からみても難しいからだねと思っていました。それならゆっくりできるかななどとも思っていました。

ところがどっこい。
中に入ってびっくりぎょうてん。エレベーター搭乗を待つ長い長い列が続いているではありませんか。
一番少なそうなところを選んで並んだのですが、その列でさえ300人ぐらいいます。全部で2000人近く入っていたのではないでしょうか。
ああ、やめようやめようと思ったときはあとのまつり。 出るに出られません。
ここでも厳重テェックで荷物の検査、身体の危険物チェックなどがありまるで空港と同じです。
飲み物まで捨てさせるんですから。 もったいないと残ったミネラル水を無理して飲んでしまいました。
なんと待つこと1時間半越え。 やっとエレベーターに乗って上へ上へと。 まさに苦節の1時間半。

それでも、展望台からみえる上海の姿は美しいものがありました。
見える川は黄浦江(ファンプージャン)、家の男1が「あれ、長江じゃないの」と勘違いしていたぐらい大きい川です。この黄浦江がさらに長江へとつながるということですね。
いかに長江が大きい川かが想像できますよね。

右側が虹口(ホンコウ)地区、左側が外灘(ワイタン)です。つなぐ橋の一つ一つに歴史が残されているのです。 これからは平和へとつながる橋となるようにと祈りと願いとをかけました。

ちょっとモダンな建物ですね。 ただそれだけー。
高所苦手症の私にはやはり怖かったのだー。

グランドハイアットホテルが入っているビル。
誰がこんなすごい所に泊まるんでしょうね。
☆☆の宿泊所の私は別にうらやましいとは思いませんでしたが。
それより通りで見かけた生活に苦しそうな人たちの所在の方がずっと心配でした。

あまり関係ないのですけれど、下の歴史資料館でみた宝船(私命名)にほうり込まれた小銭や中銭。
こちらの人ってお金を投げるのが好きなんだな〜とつくづく思いました。
さすが、この塔に登れる階級の人たちだけあって金額が違うな〜とも。
そうそう、歴史資料館で一番賑わっていたところ、写真撮影が多かったのがなんと「アヘンを吸っている人」の像があるところでした。上海はアヘン戦争の中心地であり、たしかにアヘン蔓延の様子が頷けるものでした。きれいなお姉さんの膝元でパイプのアヘンを吸うかっての上海人の姿がなんとも切なく感じられました。
もうひとつのそうそう。
帰りの下りエレバーターに乗るまでにまたしても1時間待ちでした。
ハ〜、とため息をつきながら上海人は気が長いな〜などと考えじっとがまんの自分でした。
1時間ぐらい過ぎた頃、前のほうがいきなり賑やかになりうるさい声が聞こえてきました。
怒鳴り声、止める声、入り混じっています。どうやら一緒同行の人たちとエレベーターに乗れなかったおじさんがキレてしまったようです。
もう止める警備員も必死。乗ることをとめた警備員もおじさんもそれはえらい剣幕でしたね。
それを見ていた自分は「ああ、やっぱり上海人もキレルんだな〜」と変なところで安心しました。

展望台から見える上海の姿はたしかに美しいものがありました。
でもこの浦東(プードン)地区にきて一番感動したのがこの青年の姿です。
この地区にあるしゃれた百貨店の前の通りで道行く人に歌いかける青年。
歌声のすばらしさは、私の上海旅一時疲れモードに染入るものでした。同じアジア人なので短調のメロディーが合うのかわかりませんが、とても感動しましたね。
日本のかってのフォークシンガーでいえば、高田 渡+遠藤賢二+加川 良+小椋 佳の各氏を割ったような感じ。 今でも記憶の奥にメロディーが残っているぐらいです。 良いものは良いんですね。

この地区では待ちの時間がしこたま多かったこの日。
夕日が黄浦江にも差しはじめています。
これから観光客は夕方・夜の遊覧船で楽しみます。
遊覧船乗り場も人が多かったです。
きっときれいな夜景を見ることができたことでしょう。
街を歩き、目にするものに疲れと理解できないものを抱え始めた私は宿へと戻ることにしました。
いくばくかの食べ物と飲み物があれば極楽極楽〜!と思いつつです。

*さて、次回はほんとにほんとの最終回。 では、また。

投稿日:2009-10-25 Sun
「えー!!!次回でもうおしまいですか?残念です〜」というLさんのご意見により、アップをちょっと増やすことにしました。
人を残念な気持ちにさせることは私の信念に背いているような気がするので。(影の声:よく言うよ〜)
今回の上海行はあくまでも過去の日本史の確認とお詫び、そして隣人のへ理解ということを目的としたものですが、少しぐらいは観光のようなものも入れましょうと考えていました。

古鎮、水の都といわれる「朱家角(シュージアジヤー)」に行ってみよう、それも外人客相手の観光バスでなく普通の市民が乗っているバスでと。(中国初日までは)
しかし、ついた翌日(2日目)の町の大混雑の光景にびっくりした私は、おそらく有名観光地行きは中国人観光客でいっぱいでバスの切符も思うように手に入らないだろうとの考えに至ったのです。
そこで行き先変更したのが「七宝(チーパオ)」です。
ここならば地下鉄を上手に使えばなんとかなるだろう、早速準備し出発しました。
何回かの乗換えで1時間ちょっとで着いたのがこの七宝、水郷の町です。
やはりここも国慶節8連休によりにぎわっていましたね。それでも風景がややのんびりしているのが気持ち良かったです。

七宝老街に入る前の国道、ここも大工事中でした。ここの空きの部分に車を停めているのがなんとも度胸があるな〜と。

門をくぐるとすぐ右側に大きな池があり、金魚釣りを楽しむ大人の姿がありました。ハマちゃんがやはり上海にけっこういたのに安心しました。池の中央の建物ではお茶を楽しむ人々も。平和〜。

池には賽銭つぼのようなものがあって、そのまわりには小銭がたくさんころがっていて池の中にもたくさん落ちています。ちょうど大学生風のお姉さんがお金を投げたところ、見事に大はずれ。
大笑いなどしてもう一度挑戦です。やはり中はずれでした。小銭と吉運は池の管理者のもとへ。

そうそう、台湾料理のお店もありました。民衆レベルは台湾国も台湾人も同胞です。
国共戦争という内戦を経てきた中国、政治レベルは難題ありですが人々の心は同じ人間だという優しさを持っています。お店も繁盛していましたし。

この七宝の街も大賑わい、狭い通りを楽しむかのような人々の姿でした。
何千人もきている街なのにここでも日本人には出会いませんでした。上海語ばっかりなのがまた良いな〜。

お茶の手入れ作業に励むお姉さんたち。 おしゃべりもせずに一生懸命なのがすごい、見られているからだろうなんて考えるのはやめましょう。

こちらはチマキを売っているおじさん(お兄さん?)
有名人らしく何かの雑誌に紹介されている記事を展示していました。
そういえば映画「非情情市」の中でもこのチマキをぱくぱく食べる青年の姿がありましたね。

ここは「シャオチー(日本漢字にないものでカタカタ表記)」の店で、ちょっとしたたべものやおやつや飲み物など販売しているお店です。日本のファーストフード店というような感じですね。若い人や元若かった人などでにぎわっていました。 パクパクー。ゴクゴクー。

そこで着いた先がこの水郷、小さな川が上海にもたくさんあります。
のんびり遊覧船に乗り楽しむ観光客のみなさん。
必死になって櫓をこぐおじさんやおばさん。 優雅なひと時。

こんな風に古いものと新しいものとがブレンドされていた七宝の街でした。
この船に乗るまでにずいぶん待っていたのでしょうね、なんて考えるのをやめました。
皆さん至福!という顔をしていましたよ。

橋を越える頃から確かどこかで嗅いだ香りがと。
うわ、やっぱり焼き臭豆腐じゃないか、台湾へ行ったとき、この匂いで食欲大幅ダウン状態に陥ったのをまざまざと思い出しました。でもこちらのはそれほど強烈臭ではありません。
でも、やっぱりパスしてしまいました。
TVで台湾高校生が「サイコー!」なんて叫んでいた臭豆腐ですが、まだ私には難関だと。ウーム。

いろいろな焼きもののお店が並んでいました。 中国の皆さんはそれは美味しそうに。
食文化に疎い私はコンビニの無難なシャオチーで十分でしたね。

一時間半ほど水郷の町をぶらぶらし、ちょっと観光をしたような気分になりました。
帰る途中で見つけた「おトイレ」。なかなかしゃれた建物でしょう。
古いのですが、このウェーブ加減がなんとも良いな〜と感心しましたね。

この七宝の街でも、慎ましくそして逞しく生きる一般庶民の姿がありました。
何がなんでも生きるんだ!という上海人の力強さを再び学ぶことができたような気がします。
このかわいい子犬たちも、辛抱強く仲良く生きているのがよ〜くわかりました。
七宝編、これにて終了です。
間違えて写真のリサイズを小さくしてしまいました。
こんなところを慎ましくしてもしょうがないのにねー、と苦笑の自分です。
では、また次回。

投稿日:2009-10-21 Wed

虹口(ホンコウ)地区歩きの続きです。
写真に簡単な説明だけですが、なんとなく様子はわかるのではないかと。
四川路を南下していくと最終的には観光で知られた外灘(ワイタン・英語ではバンド)と呼ばれるかっての租界区域の中心にでます。今回の報告は虹口から外灘までの中間点にある多倫路文化名人街からスタートです。

通りの入り口にいきなりこんな像がありました。
偉いたとえば先生人と少年の姿なのか、あるいは新聞かなにかを売っている少年と大人なのかわかりません。説明がなかったような気がします。いきなりわからずですみません。

上海にはこのような集合住宅がこの地区に限らずたくさんあります。
当時の住宅が今でも残っていて、ふつうの市民はこのようなところに住みささやかな生活を送っています。洗濯物がこのように干されているのも特徴です。

この多倫路の街はこのようなお店が続いています。食料品の店、食堂、レストラン、ブティック、みやげもの店、そうそうキリスト教会もありました。
元日本人街だったため、日本人の観光客も訪れるようです。この日は一人も見かけませんでしたが。

途中、「松月楼」の看板を見つけたので、はは〜おそらくここには遊郭などあったのではないかと写真を写したりし、路上にある説明看板を読んでいると周りにはなんだなんだと人が集まり始めました。ちょっと恥ずかしくなったのでスルッと抜け出した自分でした。

この文化名人街の出口近くで見たリヤカーに乗った人と運転手です。こんな風景が50年ぐらい前の日本にもありましたよね。左側にあるような、この日は国慶節(休日)ということで、ちょっとお金持ち家族はおじいさんやおばあさんの為にお食事を用意したり、簡単な観光をしてあげている姿がいくつもありました。

四川路をさらに南に進む途中でみた光景。激しいロックのリズムに合わせ、激しく踊る2人組の姿がありました。通りの両側の人もバスの乗客などもびっくりしたような顔で眺めています。パチンコ店の開店祝いかなにかかな〜なんて思っていたのですが、正解はパソコンモールの宣伝でした。これでお客を呼ぶなんて発想がすごい。ちょっと一休みのときは司会役の人が演歌みたいなものを歌いはじめたところ、人溜まりはスーツと引いていったのが印象的でしたね。

このりっぱな建物が租界時代につくられた上海市郵政総局、歴史資料の展示もあり観光客も寄るそうです。このすぐ近くには旧日本憲兵隊の本部があったというりっぱなビルがあり、今では上海市のデラックスホテルとして利用されています。戦時中はそれこそ大変な軍事拠点であったわけです。
外灘にある租界区域の様々なビルも破壊されることなく有効利用されているのです。負の遺産ということですがそれでも残されたものは上手に利用していくという上海人の合理性がすごいですよね。

通りの途中、軒下にある支えというかガードがものすごくクラシックだったので撮影。
歩いていてもちょっと怖かったです。

蘇州河で泳ぐ人発見。すごい!これ10月の3日ですよ。でも気温は27℃はあったので気持ちよかったでしょう。私だけでなく一般市民もびっくりしていました。河が濁って見えるのは汚いのではなくもともとの土砂がこのような色だからです。自由泳ぎ人、その後どうなったかはわかりません。

いよいよ外灘へ到着。
観光ガイドに見られるようなすごいビルが建ち並び、上海人観光客がピースなどして写真をとっています。どこの国の人も同じだな〜なんて思いました。

それではと、私も建物写真を写しましょうとあれやこれやとカメラを動かしていたところ警察官が寄ってきました。
「失礼します。私は上海警察官です。ここは車が通るので危ないので直ちに移動してください」というようなことを言っていました。
「阿!謝謝」と私は三国志に出てくる英雄のようにパーとグーにした手を合わせ感謝しました。
そして警察官はまた30度の方向に視線を向け気をつけをしながらパトロールを続けたのです。
ご苦労様なことです。多くの人たちは休日を楽しんでいるというのにと、もう一度敬意を表した自分でした。
虹口遊歩の回、これにて終了です。
次回は、まとめて特徴のある写真を載せ、少しばかりの説明を加え「激烈上海」の最後としたいと思います。 では、また〜。
投稿日:2009-10-17 Sat
1842年アヘン戦争に敗れた中国は、イギリスをはじめアメリカ、フランスなどの各国に租界(外国人の居留地)を設けることを約束した。上海もその租界地のひとつである。日本がこの租界地を手に入れたのは1895年の日清戦争で勝利したそのすぐ後になる。
租界というと借りているという感じがするが実際は植民地化・支配化された所と考えて良い。
その後、なんと1945年の太平洋戦争終了時までこの上海の一部を日本人の租界地としていたのである。日中戦争の発端として様々な舞台となった上海、いくつかの軍事行動により多くの犠牲者を出してきた上海、歴史のある時点に戻ることはできないが振り返ることは可能である。
歴史を振り返りつつ、これからの国や国民同士の在り方を考える一歩となることを目的に旅はスタートした。
虹口(ホンコウ)、日本の租界地となった上海市の北部の町、一時は10万人をこす日本人居留者が生活していたという。 今でも当時を偲ばせる様々なものが形として残っている地域である。
ここから文体は変わってソフトになります。

地下鉄で上海駅から20分ぐらい乗ると虹口サッカー場という駅に出ます。
駅を出たらすぐの公園の一角にサッカー場が設置されていて、ここで大きな試合は行われます。
入り口に通じる通路には物売りの人がたくさん出ています。上海はどこでもこのような物売りの人たちが見られそこには生きるためならなんでもする、というエネルギーが強く感じられます。

サッカー場のすぐ隣は魯迅公園。休日とあってたくさんの人々が集まっています。
こんな静かな池もあるのですが、こんな静かなところはあまり人気はありません。
とにかく人が集まっていると何やっているのとあつまり、それがどんどん大きくなっている感じです。
たとえば、

これカラオケ演奏に合わせてトランペットを吹いているところ。それにあわせて女性も腰をふりながらちょっとダンスをしています。拍手みたいなのはほとんどないのですが、まわりにいる人たちはそれなりに楽しんでいるのがわかります。
このほかに合唱のかたまり、二湖の演奏グループ、踊りのグループ、似顔絵かき、うたたねのグループなどいろいろです。 日本の歌謡曲「北国の春」などの演奏もありました。庶民のちょっとした楽しい集い場所となっているいるようです。 不思議なのは子どもの姿がほとんど見られないことですね。
中国の一人っ子政策からこうなんでしょうかね。

魯迅記念館も公園の中にあります。
魯迅の文学の紹介や資料の展示、その頃の上海の歴史や社会模様などがわかりやすいものとなって展示公開されています。 この日は国慶節(休日)のためか入場料は無料でした。

四川北路(シセンベイルー)を南へどんどん歩いていきます。
写真ではたいしたことないのですが、上海の道路・交通事情はすごいです。
写真でもわかりますように、信号が赤でも車も人もバイクもつっこんできます。
早く入ったものが勝ち、だからもうクラクションが「パーパー、ピーピー」ものすごくうるさい。その上車から怒鳴る声まで聞こえてきてすごい。
私も一日目はうるさいな〜、腹立つな〜などと感じていたのですがもう翌日にはちょっと慣れてきました。信号無視も人々に合わせてガーツと実行、それでないと渡れないのですから。
その上、クラクションも「ちょっとどいてくださいね〜」と聞こえてくるのだから不思議なのだ。
そして30分ほど歩いて見つけたのがこの入り口。

「多倫路文化名人街」(ドオリンルーウエンホアシンジエ)
かって日本人文学者や芸術家などが生活していたというところです。日本租界の当時の様子がいちばんわかる所です。 なるほど〜と思いながらこの町を歩いていました。
そうそうこの日は15kmぐらい歩いたことを思い出しました。思い出したらまた疲れちゃったので今回はこれにて終了。 続きは次回ということで。 なんの報告やろね〜一体。ほんと。

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